サラリーマンは究極のベーシックインカムである
ベーシックインカムという言葉を耳にしたことがある人は多いだろう。
国民に対し、最低限の生活を維持できる金額を無条件で配るという構想だ。
だが冷静に考えてみると、日本においてすでにその仕組みを享受している人々がいる。
それがわたしたち「サラリーマン」だと言ったら信じてくれるだろうか。
サラリーマンにとって最大の特徴は、毎月必ず一定額の給与が口座に振り込まれること。
仕事の成果がゼロであっても、病気で寝込んでいても、会社が潰れない限り給料は支払われる。
これはまさに、社会が理想とするベーシックインカムの姿ではないか。
成果と無関係に得られる安定収入
フリーランスや個人事業主は、自ら動いて仕事を取らなければ収入は途絶える。
努力しても売上が上がらない月は、食費を切り詰めるしかない。
ところがサラリーマンは、たとえ会議で居眠りをしても、雑務に追われて実績が見えなくても、給料日にはしっかりと給与が支払われる。
もちろん評価制度や人事査定は存在するが、給与がゼロになることはまずない。
これほど「最低限の生活を保証する仕組み」に近い制度はないだろう。
社会保障という“上乗せ”
さらにサラリーマンには、健康保険・厚生年金・雇用保険といった社会保障が自動的に付与される。
これはフリーランスが自ら支払う国民健康保険や国民年金よりも手厚く、会社が半分負担してくれる仕組みだ。
ベーシックインカムが国民に一律の安全網を提供するように、サラリーマンにはすでに「会社を通じたセーフティネット」が整っているのだ。
つまり、給料+社会保障のパッケージこそが、現代日本における実質的なベーシックインカムと言える。
精神的安定という副産物
安定した収入は、精神的な余裕を生む。
フリーランスは常に「来月の売上はどうなるか」と不安を抱えるが、サラリーマンは給料日を信じて安心して生活を組み立てられる。
住宅ローンを組みやすいのも、毎月の給与が保証されているからだ。
これは究極の「安心装置」といえる。
ベーシックインカム以上の縛りもある
とはいえサラリーマン生活はバラ色ばかりではない。
ベーシックインカムは「働かなくても給付される」が、サラリーマンは毎日出社し、上司の指示に従わねばならない。
つまり「安定収入と引き換えに自由を制限される仕組み」だ。
時間を切り売りする代償として安定が与えられる。
これは言い換えれば、「究極のベーシックインカムだが、使用条件付き」ということを意味する。
これからのサラリーマン像
日本社会が少子高齢化に突入し、ベーシックインカムの導入が議論されるようになっても、サラリーマンという制度はすでにそれを先取りしている。
今後、副業解禁やリモートワークの普及が進む中で、サラリーマンは「安定収入を基盤に挑戦できる立場」へと進化していくだろう。
もはやサラリーマンは単なる労働者ではない。
国家が理想とする最低限の生活保証を、すでに享受している存在なのだ。
まとめ
サラリーマンは究極のベーシックインカムである。
- 成果にかかわらず給与が支払われる
- 社会保障が上乗せされる
- 精神的な安定を得られる
その一方で、時間や自由を差し出すという縛りも存在する。
だが見方を変えれば、すでに日本は「サラリーマンという形でベーシックインカムを実現している国」と言えるのではないか。
つまり、サラリーマンであること自体が「現代版ベーシックインカムの受給者」なのである。